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32、死について考えます。


日本の有名な大学病院の救急外来の先生が「人は死なない」という本を出されています。救急外来の先生ですから人の死をたくさん見ておられると思いますがそう言われるのです。この先生はご自身でも臨死体験をされていることと多くの患者さんの死に方を観察することで確信を持たれているそうです。私は私の先生の研修中に何人かが脳梗塞で倒れ一緒に受講していた看護師が脈が停止しているのを確認し、先生に報告をすると先生は手を額に当てて「気」を流され回復するのを観て来ました。私も15年位前に先生を真似て倒れて呼吸停止した方に「気」を流して回復されたことがありました。これは体と命が別であり、死は命が体から離れることを表していることだと思います。しかし、人間には寿命があるために安易に行うことは罪になると思います。ただ長生きをすることは苦しみになることもあると思います。命は生まれ変わると教えていただいています。それを理解すると死の恐怖から解放されます。しかし人間に生まれる保証はないよと仰られます。人に生まれ変わるためには生き方が問われます。人間に生まれたのは奇跡的な事と教えていただいています。死は命が体から離れるだけで意識はそのままだと聞きました。ただ人間以外の場合は?最近、私は四についてよく考えています。それは時分の苦しみが自分への執着から生まれるからです。死ぬと体は焼かれて無くなることを思うと徐々に執着が少なくなれたようです。恐怖も少なくなります。


31,命と供養について

日本では現在、宗教が問題となっています。問題になりやすいのが亡くなった方の供養について何も解らないために多くの宗教で供養が必要と言われてお金を求められています。人は生きていると気付かない間に思い、言葉行為で他人や社会を批判し悪口を言っています。そして暴力も行います。全てが罪なのです。それは相手に対してだけではなく自分自身に対しても罪になるのです。なぜなら批判や悪口を言う人の心には人を責める心があるからです。キリスト教で言われる「原罪」はアダムとイブがリンゴ(知恵の木の実)を食べたことと聞いていますが私はこれは人間の欲望を

意味するものと思います。食欲は1番強い欲望ですからここから欲望の心が生まれたのでしょう。欲望の心はあらゆる問題の原因になるためにコントロールが求められます。その時に神への信仰が必要となります。人間の欲望の心は際限なく拡大します。自分の力では止められないのです。人生はこの欲望との戦いだと思います。この戦いに克った時に本当の心の平安な心が得られると思います。しかし、ほとんどの人は罪を残して亡くなっています。そして死後、浮かばれないで苦しんでいると言われるのです。それは当然でしょう。この世は因果応報の世界です。この世でつくった罪はこの世で償っておかなければあの世で苦さしむのです。ここでその苦しむのが解るのが霊能者と言われる方々です。霊能者の方々は除霊をすると言われますが本     来はそれは本人の問題ですから本人が苦しむことによって罪は消えるので他人が

べきではないのです。ですから除霊をする霊能者の方はその方々の罪を背負うことで晩年苦しむのです。そしてされた方々も罪は残るために生まれ変わった時に体の異状を持って生まれるのです。又、異状はいつ起きるかはわからずある日、突然出ることもあるのです。エネルギー不滅の法則というものがあるそうです。罪からは逃れられないことを知って生きることと人間は本当の信仰を求めなければ苦しみます。見極める目が大切です。