日別アーカイブ: 2022年12月30日

52,人間と政治

人間は地球に住む多種多様の生物の中で唯一本能に縛られない存在です。それは人間だけが成長するために創られているからです。他の動物は本能によって決められた生き方をしいていますが人間だけは過去や未来を考えたり、神様を思えるし、到達する可能性があるのです。人類が少ない時には一人一人がまた、家族単位で自由に生きていたと思いますが人類が増えるに従い社会ができて人間関係が複雑になってそれをコントロールするために政治や法律が創られたのでしょう。当初はあくまで人が主体だったと思うのですが今は人口が増えたのとあまりにも人間の欲望が優先するために人間性が悪くなり政治や法律が必要になったのですがそれがあまりにも優先し、本来、人間は自由であり、その可能性を求めることができないように権力が振る舞い次々と法律を作って自由を奪っています。しかし、それは仕方ない面があります。人間が道徳心を無くしたからです。私は法律を作ることより道徳心を教える教育が大切と思うのですがそれを教えるに相応しい方がいないのが現在です。人間の教育は難しいのです。特に現在は欲望だらけで育っています。変えられません。自覚を持った一人一人が変わることでしか変わりません。特に年配者ほど難しいのです。しかし、現在の若い人は大いに可能性があると思っています。

51、人間について考える(1)。

私はこれまで約26年間、神様の教えを学んできました。教えの中で人間や宇宙がなぜ存在するのかを明確に教えて頂きました。その教えを学ぶとこの世のことがとてもよく理解できるようになりました。しかし、教えは理解したつもりでも本当には理解できていないことが今日、分かりました。人間は頭だけで解ったつもりになっているのですが本当に解ることがいかに難しいのかに気づきました。そのために人は自分の考えを無くす修行が必要なのだと思いました。現在は神様を信じない方が多く、信じているからと言って本当に信じようとしているとは思えません。私は今の先生とお会いするまでにいろいろな宗教団体に行ってみましたがそれぞれ良さそうな教えをされていますが私は大学時代から仏教で言  う「悟り」に興味があったのでそれを説くところはありませんでした。ですから、少しの機関、参加したところはありましたが止めました。その後、霊能者に興味を持ったりして内容がそれぞれ違うのを感じていろいろなレベルがあると思い見えない世界の存在を信じるようになり、インドの「神の化身」の存在を知りその方について書かれた本や雑誌を読んで確信しました。その中の雑誌に今の先生が紹介されていた事が学びの初めで2年後にインドにご一緒させていただきました。そこでの体験から私はこれからの人生を決断しました。しかし、意志の弱さからなかなか先生のようにはゆかないのが現状ですが他の人生には何の魅力が無くなりました。「悟り」とは神様に到達することと解かりました。しかし、厳しい道でもあります。お釈迦様が「神」と言う言葉を使わず「仏」と言われたのは「神」と言いう言葉は到達された方しか許されないことを守られたからと知りました。私は先生から長くその使用を禁じられていましたがある時から使用が許されました。それは先生が到達された時でした。お釈迦様も死の直前に到達されたメモ書きに「命は甘美 である」と書かれていたと聞きました。この言葉が到達を意味すると思いました。ここからが真理の教えになりますが残念ですが仏典にはないのです。このような学びをすると人と争うことが無くなって心も穏やかになれます。


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