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カテゴリー別アーカイブ: 日記
33,私の権利は何か?信仰の大切さ
権利とは何なのでしょう。私は今は施術をして対価を得て生活を行っています。施術を求めて来られた方にとって私に対価を払うということは対価をいただく権利が生じたことになるのです。生きているだけで権利があるという方がおられますがその考えは射会を崩壊させるでしょう。インドに行った時、乗ったバスが止まると窓の外に子供たちが集まってきて手を差し出してお金を求めるのです。インドの「神の化身」は与えてはいけないと仰られました。子供たちはそれを仕事にしているのです。お金は努力して働いて得るのです。そして、人間として成長するのです。それでも苦しい時、神様に祈るのです。人生は苦しみの連続です。祈りが神様に通じた時、奇跡は起きます。神様はいつも待っておられます。この世界は因果応報で成り立っています。善いことは神様の恩寵です。善くないことは人間の生き方の間違いの結果です。生き方を正さない限り、幸せにはなれれないと教えられています。善い努力を始めると善いことが起きます。
32、死について考えます。
日本の有名な大学病院の救急外来の先生が「人は死なない」という本を出されています。救急外来の先生ですから人の死をたくさん見ておられると思いますがそう言われるのです。この先生はご自身でも臨死体験をされていることと多くの患者さんの死に方を観察することで確信を持たれているそうです。私は私の先生の研修中に何人かが脳梗塞で倒れ一緒に受講していた看護師が脈が停止しているのを確認し、先生に報告をすると先生は手を額に当てて「気」を流され回復するのを観て来ました。私も15年位前に先生を真似て倒れて呼吸停止した方に「気」を流して回復されたことがありました。これは体と命が別であり、死は命が体から離れることを表していることだと思います。しかし、人間には寿命があるために安易に行うことは罪になると思います。ただ長生きをすることは苦しみになることもあると思います。命は生まれ変わると教えていただいています。それを理解すると死の恐怖から解放されます。しかし人間に生まれる保証はないよと仰られます。人に生まれ変わるためには生き方が問われます。人間に生まれたのは奇跡的な事と教えていただいています。死は命が体から離れるだけで意識はそのままだと聞きました。ただ人間以外の場合は?最近、私は四についてよく考えています。それは時分の苦しみが自分への執着から生まれるからです。死ぬと体は焼かれて無くなることを思うと徐々に執着が少なくなれたようです。恐怖も少なくなります。
31,命と供養について
日本では現在、宗教が問題となっています。問題になりやすいのが亡くなった方の供養について何も解らないために多くの宗教で供養が必要と言われてお金を求められています。人は生きていると気付かない間に思い、言葉行為で他人や社会を批判し悪口を言っています。そして暴力も行います。全てが罪なのです。それは相手に対してだけではなく自分自身に対しても罪になるのです。なぜなら批判や悪口を言う人の心には人を責める心があるからです。キリスト教で言われる「原罪」はアダムとイブがリンゴ(知恵の木の実)を食べたことと聞いていますが私はこれは人間の欲望を
意味するものと思います。食欲は1番強い欲望ですからここから欲望の心が生まれたのでしょう。欲望の心はあらゆる問題の原因になるためにコントロールが求められます。その時に神への信仰が必要となります。人間の欲望の心は際限なく拡大します。自分の力では止められないのです。人生はこの欲望との戦いだと思います。この戦いに克った時に本当の心の平安な心が得られると思います。しかし、ほとんどの人は罪を残して亡くなっています。そして死後、浮かばれないで苦しんでいると言われるのです。それは当然でしょう。この世は因果応報の世界です。この世でつくった罪はこの世で償っておかなければあの世で苦さしむのです。ここでその苦しむのが解るのが霊能者と言われる方々です。霊能者の方々は除霊をすると言われますが本 来はそれは本人の問題ですから本人が苦しむことによって罪は消えるので他人が
べきではないのです。ですから除霊をする霊能者の方はその方々の罪を背負うことで晩年苦しむのです。そしてされた方々も罪は残るために生まれ変わった時に体の異状を持って生まれるのです。又、異状はいつ起きるかはわからずある日、突然出ることもあるのです。エネルギー不滅の法則というものがあるそうです。罪からは逃れられないことを知って生きることと人間は本当の信仰を求めなければ苦しみます。見極める目が大切です。
意味するものと思います。食欲は1番強い欲望ですからここから欲望の心が生まれたのでしょう。欲望の心はあらゆる問題の原因になるためにコントロールが求められます。その時に神への信仰が必要となります。人間の欲望の心は際限なく拡大します。自分の力では止められないのです。人生はこの欲望との戦いだと思います。この戦いに克った時に本当の心の平安な心が得られると思います。しかし、ほとんどの人は罪を残して亡くなっています。そして死後、浮かばれないで苦しんでいると言われるのです。それは当然でしょう。この世は因果応報の世界です。この世でつくった罪はこの世で償っておかなければあの世で苦さしむのです。ここでその苦しむのが解るのが霊能者と言われる方々です。霊能者の方々は除霊をすると言われますが本 来はそれは本人の問題ですから本人が苦しむことによって罪は消えるので他人が
べきではないのです。ですから除霊をする霊能者の方はその方々の罪を背負うことで晩年苦しむのです。そしてされた方々も罪は残るために生まれ変わった時に体の異状を持って生まれるのです。又、異状はいつ起きるかはわからずある日、突然出ることもあるのです。エネルギー不滅の法則というものがあるそうです。罪からは逃れられないことを知って生きることと人間は本当の信仰を求めなければ苦しみます。見極める目が大切です。
30,人には治せない症状もある。
人には治せない症状があります。病気のほとんどは生活習慣病ですが心の病気はひどくなると難しいです。最近、来られた方がそうでした。この方はとても強い方ですから鬱ではなく強い性格で他人を責める罪が症状として出ていると思います。ある朝、起きようとした時に腰に痛みを感じて起きれなくなったそうです。それを聞いて私は腹筋と腸腰筋と判断して施術しました。悪い部分はありましたが思うような効果が出ず逆に痛みが出るような状態でした。結局改善せずに帰られました。後で考えた時にふと自分の体験を思い出してこれは「命」が起こされた「罪」だと思いました。この場合はどんな施術も効果が出ないのです。多くの人は信じられないでしょうが私は過去に肩、腰、目で経験しました。このことを教えていただいたのは私の目が悪くなった時に尊敬する先生にヒーリングをお願いした時に「あなたの目は命が目を悪いことに使ってきたので治すことを許されないのだと言われて気づきました。私はこれまで他人、社会、国などさまざまな事に正義感と思って批判していたし、今これを書いていながら今も以前ほどではないがいろいろと批判している自分に気づきました。ですから今も少しずつ目は悪くなっています。もちろん眼科で5年位前に検査はしました。眼科の先生は「眼球はきれいなのに視野の中央が見えてないですね、原因は解りません。」と言われましたのでそれ以来眼科には行っていません。人間の体は善いことに使うために与えられているのでマイナスは見てはいけないと教えられています。人生は難しいのです。私は今も批判していますが以前のように感情は減っていますのでその分心は穏やかになっています。ありがたいことです。人間は本当に奥深い存在です。医療に関わる方々にはもっと人間について知ることが大切だと思います。もちろん、人間の誰もが必要でしょう。今日は私にとって善い気づきをいただきました。
29信仰と宗教について
宗教についてインドの「神の化身」は正しい宗教があるとするなら「愛の宗教」だけだと仰られたそうです。この「愛」の意味を本当に理解できるのは「悟り」に到達した方しか理解できないそうです。そのことを思うと世界中にある宗教の指導者でで「悟りに到達されている方は一人もいないだろうと私は思います。ですから現在、正しい宗教は無いと思います。キリスト教も仏教もそうです。ただ、マザーテレサは純粋に神の使徒になられたようですから彼女の処には争いが起こらないのです。彼女個人は正しい教えをされたのです。イエス様は愛を説かれました。お釈迦様は愛は説かれませんでした。ただ、亡くなる直前の言葉「命は甘美である」というメモ書きを残されたそうです。私はこの言葉を聞いてお釈迦様も愛の世界に到達されたのだと思いました。宗教はこうした偉大な方々の教えを伝え、学ぶものだと思います。信仰は学んだ個人が神仏を求めて行くのだと思います。これまで同じように思っていましたがブログを書くことにより、いろいろと気づくことがあります。ブログを書くことは学んだことの理解を深めさせてくれます。
28,努力と目的の大切さ
人は毎日一生懸命幸せを求めて努力して生きています。仕事、研究、スポーツ、芸術などさまざまな目的があり、成果を上げています。その幸せを感じている姿は本人だけでなく周りの人々にも多くの感動と幸せを与えます。それぞれ素晴らしい努力をした成果ですがその幸せや感動は長く続きません。人間は必ず老いて死んでゆきます。この世のものは全てが変わるのです。何かを一生懸命努力して得たとしても死んだ時には全てを失うのです。ほとんどの人は自分が元気な時には死ぬとは思わずに生きています。物質世界の努力は若い時、生きている時だけです。では何のために人間は努力するように生まれているのでしょう。今の人は命のことを体と思っていますが私は命と体は別だと学びました。元々日本にはそのような教えがあったのですが戦後の教えには無くなったので多くの日本人も知らなくなったのです。仏教の指導者の皆さんも知らないのです。ただ,他の国のことは解りませんが日本には霊感のある方が多くおられるので命と肉体が別であることは言われています。しかし、命について本当のことは知らないと思います。人間はこの命を知るために生まれ、そのために心をきれいに磨かないと命は解らないと教えていただいたのです。その心を磨く努力は年齢に影響しないので達成するまで努力するのだそうです。その努力する経験を若い時に身につけるのだと学びました。物質世界の成功体験が無いと心の世界も難しいと教えていただきました。
26,目の症状の改善について
現在はPCやスマホの使用で目を酷使していろいろな症状で不自由している方が多いと思います。病名もいろいろと眼科の先生は付けられますが私は血行を改善することでほとんどの症状が良くなるのを経験しています。患者さんを触診すると頚が硬くなっています。私はその原因が内臓だと考えて施術を行います。内臓は胃と十二指腸と膵臓です。これらの内臓が弱ると耳にも影響が出るために耳鳴りやメマイや立ち眩みの原因になります。さらに背中から腰、膝にも症状が出ます。日常生活を正さないと病気になります。ただ人間の回復力は素晴らしいので早く気づいて努力すれば多くは改善します。限界を超えないことです。人間の目は素晴らしいので他人は全ての判断を目で見て行います。ここで気を付けないといけないのが善くないものは見ないことです。善くないものからはマイナスのエネルギーが出ていますのでそれの影響も悪くする原因になります。マイナスの人の目を見ると気持ちが悪くなったり、痛くなるのです。気を付けましょう。
25,認知症や脳梗塞など脳の病気について
ブログの17で怒りについて書きましたが近年は認知症や脳梗塞になる方がたくさんおられます。なぜこのように脳の病気が増えているのでしょう?真理を教えていただいた先生は怒りが脳細胞を壊すのだと教えていただきました。その中で食べ物も大きな影響があると言われました。人間は本来は採食だけど現在は肉食をする人が増えているから感情の激しい人が多くなりました。肉食がなぜ激しい心になるのかは哺乳類は鉱物の中では脳が発達しているのでさまざまな感情を持っているために食料として殺される時に怒りや恐れ悲しみ不安など多くの感情を持つのです。それが肉に入っているために食べた人の心からその心が引き出されるそうです。インドの聖者が採食をするのはそういう意味があるので命があるからではないようです。心の平安を得ようとするときに肉食を避けなければ難しいのです。肉食の人は食べ物から激しい心になりますので怒りも強くなるようです。最近の日本人は肉食の人が増えていますので脳の病気がますます増えるでしょう。そして肉食は腸内細菌も悪玉菌が増えますので日本人には少なかった大腸癌が一番多くなっています。西洋の人はとても議論が好きなようです。スポーツも激しいものが多いように思います。日本人も肉食が増えて若い人たちにも激しい人が増えているように思います。日本語には怒ることを「頭にくる」「頭に血が上る」と言います。頭の病気は増えるのでしょう。健康志向の人が増えていると言いますがマスコミはグルメ番組が多いようです。私には解りません。認知症の方には薬が原因と言う方も多いと聞きます。
24,,痛みや体の違和感の原因は?
私の考えは簡単です。痛みや違和感を伝えるのは神経です。人は食べ物から生きるために必要な栄養成分を作り、血液やリンパ液として全身に行き渡り、すべての細胞は生きています。痛みや違和感はその血液やリンパ液が不足する時に症状として神経が伝えていると思います。症状のある個所には必ず筋肉のコリや過緊張があり、骨の変形があって血行やリンパ液の流れを妨げいるのです。施術によって筋肉や骨を正常に整えれば症状は直ぐに改善します。しかし、筋肉や骨の異状は内臓との関係があり、さらに心とも関係があるために施術する時には総合的な判断が必要です。こうした施術はなかなか患者さんには伝わりにくいものです。ほとんどは一時的に症状を改善することだけになります。現在は人間がわがままなので本当の健康になる方は少ないのです。人間の体は複雑ですが慣れれば簡単に解るようになれます。