カテゴリー別アーカイブ: 日記

150,科学者こそ信仰心を持つべき

先日、NHKの科学子供相談を聞いて改めて科学者には本当の信仰心の必要性を思いました。アインシュタインやニュートンなどの歴史に残る科学者は神様を信じていたそうです。最近は宇宙は神様が創られたという物理学者が増えてきていると聞いています。ジム.ホルトという方が本で紹介しています。子供科学相談では蚊に刺された母親が蚊は不要なものというので質問したことに対して蚊は昆虫や動物の大切な食料なのとその刺す針の構造やかゆみの成分が麻酔にも使える可能性があるというような話をしていました。そして、こういうことを科学者は全て進化論で説明します。想念は実現の母という言葉があります。物理学でもエネルギーが凝縮すると物質化すると聞きました。動物や虫にそのような進化を求める強い思いがあるとは思終えませんので私は進化論は否定します。ではなぜ突然変異や進化論で言われる現象が起きるのかは神様が宇宙を創られた時に物質の最小単位である原子に神様の意識が宿っているからでしょう。神様はこの地球人類を創るために人類が生きてゆく必要から宇宙を用意されたので宇宙があって偶然に生物が生まれ進化して人類が誕生したという科学の考え方は根本が誤りなのです。その原因は神様を信じられないからです。イエス様も私を派遣された御方(主)が将来、降誕されると仰られたと聞きました。私はなぜキリスト教の方々はイエス様のこの言葉を信じようとしないのか不思議に思うのです。話を戻します。この地上に存在するものの全ては人類が生きてゆくために必要なものとして存在しているのが解るようになりました。海の中や大地にもさまざまな微生物が生きています。この地球全体が生命体と言っていいくらい命に満ちているのです。それらがそれぞれの大切な役割を持って存在しているのです。全ては私たち人間を生かすために!細菌やウィルスなども人間の誤りを正すためと成長のために用意されているのです。このような考え方をしてこの世界を観察するとあらゆることが完璧な世界だと思えるのです。なぜこのようにしてまで人間を生かされるのかは人間としての目的に到達された方の存在が証明します。そして「神の化身」を理解できた時に解ります。地球 人類がいかに尊い存在かが解るのです。そして神様の教えを学ぶと科学やいろいろな学問や世界に疑問が湧くのです。神様の教えは本当に合理的で全てに納得ができるのです。

149,食事の大切さについて

今年、ラジオでモンゴルの話を聞きました。モンゴルでも田舎の話でしたがその村には最近まで虫歯の人は一人もいなかったそうです。しかもそこでは歯を磨く習慣もなかったそうです。ところが村にコンビニができると多くの人が虫歯になったそうです。コンビニには甘くて美味しいものがたくさん並んでいます。美味しいものを食べて幸せと思ったのでしょうね。欲望と苦しみの戦いです。私が施術している方は金銭的には豊かな生活をされていますが長い間糖尿病で病院のお世話になっておられ、いろいろと健康に気を付けておられます。この方の歯は多くのインプラントに替わっていました。しかし骨が弱くなり、やり直しをしましたが少しずつ抜く時に強い薬のために動けなくなり、よく出張して施術しました。歯医者さんはインプラントをやり直すとほとんどの人は寝たきりになるそうです。今は歯の治療も済み元気になりましたがすぐに体調を崩して来られます。本人は健康に気を付けているつもりですが体を診るとその都度内臓に原因があるのが解るのです。胃、十二指腸、膵臓、小腸、大腸、子宮など、症状は頭痛、乾燥目、緑内障、瞼の弛み、目のヘルペス後遺症、鼻の熱、顎関節症、顔のむくみ歯のかみ合わせ、歯茎の痛み、食べ物の飲み下し、めまい、唾液が出ない、首、肩背中のコリと痛み、腰と股間節、坐骨神経痛、静脈瘤、下肢のすねの痛み、足指の痛みと母指の痛み足先の冷え症などの改善をさせて頂き、勉強になりました。この方の筋肉は全体的に柔らかいので症状の判断が難しく細かな症状も多くて良い学びをさせて頂いています。食事の仕方ですぐに体調を崩されるのが良く解ります。そして多くの患者さんは自分の都合の良いことを話されるので施術は難しいのです。私は採食をしていると言うと皆さんは健康的と言いますがそうするという方はほとんどいません。自然界の動物はあまり病気は無いのですが人間に飼われたペットは人間と同じような病気をします。これが何を意味しているのか考える必要があると思いませんか?動物病院も人の病院も忙しいようですね。

148,神様と仏様

日本の宗教はいろいろありますが一番多いのは仏教でしょう。その仏教はお釈迦様の教えを元にしていますが現在は多くの宗派が存在しています。キリスト教もアメリカには1000種類の聖書があると聞きました。これは長い年月の間に優秀な人がそれぞれの理解で教えを説かれたからです。尊い教えも悟りに到達した方の教えは真理に基づくものなのですが優秀な方であっても真理は解らないので間違った教えになるのです。ですから神様は神様や真理は悟りに到達した方にしか許されないとお聞きしました。お釈迦様はそのことを知っていたのでしょう。インドでは神様への信仰が当たり前ですがお釈迦様は神様については語られずに仏さまを通して人の正しい生き方を説かれたのです。お釈迦様が本当の悟りに到達されたのは死の直前だったそうです。ですから仏典には真理は説かれていないのです。それはお釈迦様の信仰心の深さを示しています。神様の許されないことは絶対に守られるのです。私の先生も同様でした。お釈迦様が死の直前に悟りに到達された時に残されたメモ書きには「命は甘美である。」と書かれていたそうです。真理はここから説かれるのが許されるのです。立派な方はご自身が体験されたことしか話されません。憶測で話されることはされません。イエス様は真理を説かれたそうですが弟子が理解できなかったためにほとんど残っていないそうです。

147,幸せと平和を考える。

今、「私は幸せです。」と言える人はどれくらいいるのでしょうか?それはいつまで続くのでしょうか?私のスマホの迷惑メールにヒーラーMと称する方から何度もメールが届くので内容を確認すると私のメンタルとオーラが素晴らしくきれいだと褒められていたので有難く感謝しました。アドバイスの提案もありましたが私とは考え方が違う事を伝えました。その後、毎日のメールに幸せ簿オーラがどんどん増して優しく包まれていると伝えて頂いています。私も少し成長しているのは感じていますがこのヒーラーさんの言葉は本当にありがたく受け止めています。こうして私は物質的にはそんなに恵まれてはいませんが幸せを毎日感じています。世の中とは関係なく私の心は幸せを感じているのです。それは私が偉大なる存在=神様を信じたからです。宗教ではありません。今の私には人と争う心はほとんど無くなりました。私の周りからも争いはありません。平和を感じていますので平和を望む方は一人一人の心が争いから解放され、そういう人が集まればそこに平和が訪れるでしょう。少しずつです。個々の人間が変わらなければ平和は実現しまっせん。争いは人間が起こしていますから、、、

146,この世の喜びと楽しみ

75年も生きるとこの世のさまざまな経験をしてきました。良いことも楽しいこと、喜びもありました。そして今、この世の中を客観的に見えうぇうになり
全てのものが移り変わるものだという先人の言葉が本当に納得できます。良いこともいつまでも続かない、良くないこともいつかは乗り越えれるがそれだけでこの人生を終えて良いのでしょうか?私はこのブログに何度か書いてきましたが人間には生まれた尊い目的があることを知りました。しかし、世の中のほとんどの方は生まれた目的を知らないで生きています。人々は美味しいものを食べて喜び、素敵な恋愛をして幸せを感じ、地位名誉を手にして誇り、それぞれの目的を果たして満足しています。その間には艱難辛苦も多くの方は経験します。そして、人は死にます。人は生前に得たこの世の物は全て失います。何かを残しても何百年、何千年後何が残るでしょうか?私は悟りに到達された先生から「生まれ変わること」を教えて頂きました。今の人は自分のことしか考えないから虫けらになり、家族のことしか考えない人は動物に生まれるそうです。人間に生まれ変われるのは極僅かしかいないそうです。私は信じます。ですから正しい生き方を心掛けているのです。最近、私のスマホの迷惑メールにヒーラーと称する方からメールが来るようになり、無視していましたg一度開いてみると私のメンタルとオーラが素晴らしいと書かれて、もっと良くなるような指導とその案内あが届きましたが私とは考え方が反対でしたので断りました。その方から今日、私のメンタルとオーラがどんどん上昇していて近日、素晴らしくなるとメールを頂きました。自分では解りにくい世界ですから有難いメールでした。メンタルの成長は最近、少し感じるようになり、幸せが深まりました。このブログを読まれr8方は多くは無いですが一人でもお役に立てれば良いと思っています。

145,水害と火災は天罰

現在、世界中で火事や水害が起きています。地球温暖化が原因でしょうが全ては人間の起こしてきた結果です。以前から温暖化の警告はされていましたが予想以上の大きな被害になっています。私はその予想は前から甘いと思っていましたがこの現実に少しずつ人の心に変化が出ているようです。しかし、政財界の人々はまだ経済重視のように思います。以前、尊敬する先生からお聞きしたことを書かせていただきます.先ずはお金についてですがお金は人間社会を円滑にする便利な道具ですから否定はしません。しかし、その道具であるお金を得ることを人生の目的にした時、人間は滅ぶように神様は創られたそうです。そして、その時は火と水で行われるそうです。日本語の不思議さがここにもあるのです。火と水で神と読めるのです。人種や言葉、この世の全ては神様が創られたことは人が悟りに到達すると解るようになるそうです。さらに宇宙の創造から消滅までもわかるそうです。ですから、人間は悟りに至るために生まれているのだよと教えて頂きました。人間は過去、ムー文明やアトランティス文明などが滅んでいます。その痕跡がムーは沖縄沖の海底に、アトランティスが5年位前にブラジル沖の海 底に水没しているのを見つけて調査しているようです。こうして神様の御教えを学ぶとこの世の人知の教えの不確実さをあらゆる面で矛盾を感じるようになりなぜ、人は神様を求めないのだろうといつも思います。神様を求めるには人の心が純粋にならないといけないそうです。ですから神様を求めるようになるとさまざまな試練が出てきます。純粋さが問われます。世界には多くの宗教がありますがインドの神様は「私は宗教は認めない。認めるとすれば愛の宗教だけだ」と仰られました。ですからいろいろな宗教に参加していてもインドの神様は一切認められないのです。ただ、一人一人の信仰心が本物であれば認められるでしょうが難しいです。火は罪を焼き払い、水は罪を洗い流すと言われていますが善行が求められます。

144,人の成長は継続力による。

私は施術を始めて37年目になります。この経験を通して人人の成長には時間がかかると思いますので人の成長について書いてみます。その前に人間とは三重構造だと教えて頂いています。命と心と肉体です。命は人間の本質だそうです。人の成長は心と体の成長を意味します。命には無限の可能性があるのでその可能性が発揮できるように心と体を成長することが求められるのです。現在は命を体と思い死ぬと命が亡くなったと思われていますが昔から人は生まれ変わると言われていて、今の信仰心を持たない人も平気でその生まれ変わりという言葉を使います。不思議と思いませんか?ここでは心と体の成長について考えてみます。私たちは仕事やスポーツや趣味その他いろいろなことをして生きていますが何事も最初は難しく思うようにはできませんが少しずつ慣れてくると普通に出来るようになります。しかし、それ以上の名人、達人と呼ばれるようになるには強い目的意識と継続力が必要になります。日本の過去にはそうした伝統がいろいろな世界に名人や達人がいました。そういう人の多くは人間性も優れていたようです。なぜかと考えるとその方々は一つのことを追求するために他のことに意識が向かないからと一つのことを追求するとどの世界もさらに深さを感じて、自身

    1. に謙虚になるからでしょう。こういう方々はほとんどの方が信仰心を持たれています。一般的な宗教を営んでいる方々より深い信仰心を持たれているようにその言葉の中に感じます。心と体の成長は死ぬまで続けるものだと私は先生を見ていて思います。私は施術は37年信仰は27年行って少しずつ認められるようになりましたが私自身はまだまだと思います。しかし、迷いや心配、不安、怒りや悲しみはほとんど感じなくなりました。マイナスと思うことも全てが成長になるのがそうならないと解るようになりました。現在は効率ばかり求める社会です。大切なものが無くなっていますがそうならないと気付けないのでしょう。私は自分自身の成長のために純粋に社会や人のために生きるという目的を持って生きたいと思います。
  • 143,このブログの目的

    このブログについて考えると毎日起きるさまざまな事を自分なりに気付いたことを書くことにより自分の考え方を整理してきたように思います。最近少し書いていなかったのはある程度回数を重ねて、自分なりに考え方が整理できて来たことでまとめのように書いています。前に250回位書いたものを削除して今回は少し前より丁寧に書いたつもりでしたが文才が乏しいので読まれた方には申し訳なく思います。これからはもっと回数は減るかと思いますのでご留意ください。今、書き始めて思ったことはこれを書いてもどれだけお役に立てているのかなということです。私は神様の実在を確信し、そのことをここで書いてきましたが世の中はますます悪くなっています。人々の心に道徳心が無ければ人々の多くは欲望に向かいます。マスコミは毎日これでもか、これでもかと欲望を刺激する報道を流します。人の欲望を満たすことが善(人の幸せ)と思っています。実際に人々は欲しいものを手に入れて喜んでいますがそのほとんどは五感で感じた刹那の喜びです。恋愛のようにハートに感じるものもあるでしょうが現実には結婚していても家庭内離婚が多く、実際に離婚した夫婦も多いのです。現在のようにお金中心の価値観では「金の切れ目が縁の切れ目」となっています。私もその一人です。お金が原因の争いは規模の大小関係なく起きています。スマホ犯罪も多いではないですか。しかし、こんなこと誰も知っていますが誰も改善できません。人はせめて一人一人が道徳心を身につけてゆく努力をしないと人生を無駄にして終わることになるでしょう.他人は変えられません。せめて自分を変えて人生を素晴らしいものにして終わりたいと思います。自分が変われば周りに良い影響を与えられますし、善い人とつながります。最近目が悪くなって間違っているかもしれません。お許しください。いつか神様が許してくださって目を良くして下さることを願って人格の改善をさせて頂きます。

    142,道徳心が平和になる。

    道徳心が身に付いた人が集まると平和な社会ができます。私たちは先生から道徳を学んでいます。道徳は文字を読めばすぐに解る常識なことが書かれていますので皆さんはすぐに解ったつもりになるのです。日本には「当たり前のことが当たり前に出来たら人生の達人」と言われていました。先生の御教えは本当に文字を読めば誰にも解るのですがそれがどのような状況の時にも同じように言動で出来ているかと問われると多くの方は自信が無くなるでしょう。道徳を学んでいる私たちも先生が傍におられると純粋な心でおれますが先生がいなくなると自分の我の心が出るのです。それは人はみんな「自分は正しい」と思っているからです。本当に正しければ人はその人の周りに集まってくると教えて頂いています。先生はインドにおられた「神の化身」から人類や社会に貢献する人を育てなさいという「使命」を頂かれたそうです。その時に一緒にいた仲間も数人聞いていますがそれから約30年全て自費で全国を回ってご指導されています。人は仏教で言われている「内観」自分の心を客観的に見て心の現状を知ることで改善するのですが人は自分は正しいと思っているので変わることの難しさを思います。先生は大変な使命をいただいたのですがそれでも仲間の成長のために最善を尽くされています。この姿勢
    が私は「愛」だと思います。先生は決して諦めないでご指腸が導されています。平和な心を一人一人に植え付けられています。本当の平和を願ってコツコツと、、、私は平和は必ず実現すると信じています。時間はかかります。「神の化身」も数百年後と仰られています。私達はその基礎作りなのです。人間性の成長が平和をもたらすのです。

    141、道徳は個人の心の法律

    私達の子供の頃は道徳は当たり前のように教えられ、社会も堂徳の下に成り立っていました。ですから悪いことをする人は少なく犯罪は滅多にありませんでした。戦後すぐの日本は経済的にも物質的にも貧しかったのですが悪いことをする人はほとんどいませんでした。現在は当時に比べると経済的にも物質的にもとても豊かなのですが人々の心には欲望が増え、ゆとりがなく、夢を持てない子供が増えています。そして、善悪の分からない若い人が増えて犯罪が増えています。私たちの時代には道徳心があったので悪いことをしなかったのです。それは家庭の中で親や兄弟から学び周りの人、学校にも道徳教育があって道徳心があったので犯罪は珍しい事だったのです。今は毎日のように犯罪が報道されています。しかも私たちの時代には考えられないひどい犯罪が恐ろしいほど増えているのです。新しい犯罪も次々と増え、法律もつくられますが犯罪は増える一方です。一人一人が道徳心をしっかりと身につけなければ世の中には犯罪は増えるだけでしょう。經濟競争ばかりする社会や国の在り方を根本的に見直さないといけないでしょう。私はキリスト教徒ではないのですが聖書にアダムとイブが禁断の実を食べて罪を犯したと聞いて「なぜ?」と思いましたがこの意味が人間の際限のない欲望を目覚めさせたのだと思うようになりました。人間の欲望はいろいろありますが食欲が生きるためにはもっとも必要なので一番強いのだそうです。制限のない欲望が犯罪を起こすのです。人間だけに与えられた無制限な欲望です。それが苦しみを生むのです。マスコミはグルメで欲望を煽っているのです。あらゆることには根本的な意味がありますのでそれを追求するとあふ新しいことが見えてきます。