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31,命と供養について

日本では現在、宗教が問題となっています。問題になりやすいのが亡くなった方の供養について何も解らないために多くの宗教で供養が必要と言われてお金を求められています。人は生きていると気付かない間に思い、言葉行為で他人や社会を批判し悪口を言っています。そして暴力も行います。全てが罪なのです。それは相手に対してだけではなく自分自身に対しても罪になるのです。なぜなら批判や悪口を言う人の心には人を責める心があるからです。キリスト教で言われる「原罪」はアダムとイブがリンゴ(知恵の木の実)を食べたことと聞いていますが私はこれは人間の欲望を

意味するものと思います。食欲は1番強い欲望ですからここから欲望の心が生まれたのでしょう。欲望の心はあらゆる問題の原因になるためにコントロールが求められます。その時に神への信仰が必要となります。人間の欲望の心は際限なく拡大します。自分の力では止められないのです。人生はこの欲望との戦いだと思います。この戦いに克った時に本当の心の平安な心が得られると思います。しかし、ほとんどの人は罪を残して亡くなっています。そして死後、浮かばれないで苦しんでいると言われるのです。それは当然でしょう。この世は因果応報の世界です。この世でつくった罪はこの世で償っておかなければあの世で苦さしむのです。ここでその苦しむのが解るのが霊能者と言われる方々です。霊能者の方々は除霊をすると言われますが本     来はそれは本人の問題ですから本人が苦しむことによって罪は消えるので他人が

べきではないのです。ですから除霊をする霊能者の方はその方々の罪を背負うことで晩年苦しむのです。そしてされた方々も罪は残るために生まれ変わった時に体の異状を持って生まれるのです。又、異状はいつ起きるかはわからずある日、突然出ることもあるのです。エネルギー不滅の法則というものがあるそうです。罪からは逃れられないことを知って生きることと人間は本当の信仰を求めなければ苦しみます。見極める目が大切です。