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229, 真理を知る難しさ

真理を知ることの難しさは真理を学んできた私たち自身が経験しています。真理を学ぶと言葉では覚えても真理に基づいた言動はほとんどできていないことに気付きます。それは聖書に書かれているイエス様のお言葉「神様を針の先ほど信じれたら山でも動かせる」というように信じることの難しさと同じことだと今気づきました。サイババ様も同じように「真理は学んでも身につかない。」と仰られていることをお聴きしました。約10年前まで尊師は私たちに神様という言葉は使わないように禁じられていました。愛についても私には教えられないと言っておられました。それが神様の決め事だとお聞きしました。言葉だけの理解では神様の偉大さが伝えられないために、神様を語ることが大きな罪を犯すことになるためだと思います。悟りに到達された御方がおられればその御方が間違いを正せるから神様を語り、伝えることが許されるのです。私はサイババ様や尊師の言動を見聞し、さまざまな体験をしても神様を知る努力もしました。あまりにも偉大で人間の想像力をはるかに超えた無限で永遠の存在を理解することは不可能と思うようになりました。人間は神様になるために生まれているというお言葉を信じて努力しお導き戴くしかないと思って います。真理も愛も神様を表すのです。それは限界のある言葉では語れません。イエス様やお釈迦様が3000年以上経っても人々に影響を与え続けているのは真理に到達されたからです。これまでも偉人と言われる方はたくさんおられ今も世界中におられますがイエス様やお釈迦様のようにいつまでも尊敬される方がおられるのでしょうか?しかし、仏教もキリスト教も真理の教えは無いので本当の救いにはなりません。現実が証明しています。