だろうと思いました。日本の仏教ではこれまでは誰も悟りに到達した方がいないし、悟りの意味も知らないからです。その理由は仏教の教えを説かれたお釈迦様が真の悟りに到達されたのが死ぬ直前でしたから悟りの教えは残されていないからです。唯一残されていたのがメモ書きで「命は甘美である。」と書かれていたのです。この言葉の意味は仏教徒には理解できていないのです。それまでの教えは人の生き方について書かれたもので、その先の悟りについての
教えは無いのです。悟りに到達された方の教えは真理を話されますお釈迦様もイエス様も真理については教えがほとんど無いように思います。インドは神の国と言われ神の化身はこれまで4方が人間の肉体を持ってインドに降誕されたそうです。それは人類に真理を教えるためだそうです。真理を知ることが人間の本当の生まれた目的が解り、様々な悪の原因となる欲望と感情を乗り越えられるのです。真理を知ると人間の本当の幸せを知ることで大きな希望と勇気が得られるのです。しかし人間の欲望は際限なく強いのでそれを乗り越えるのはとても難しいのです。そのために人間は欲望に囚われるとやがてそれが苦しみに変わるのです。際限のない欲望は満足することを知らないからです。それは物質的なものだけでなく自分の心にも起こります。知識欲は心の貧しさから生まれると思います。心を満たすのは愛なのです。いくら知識を得ても愛ある方には適わないのです。愛は神様の心です。マザーテレサが証明しています。悟りとは神様に到達することと学んでいます。仏様も神様も同じですがお釈迦様が神様を言われなかったのは神様は言葉で伝えられるような存在ではないことを知っておられたからです。それでもその大 切さを伝えるために仏と祝えられたののでしょう。仏とはインドの言葉ブッディ=知性から来ていると思います。インドでは仏教徒を知性人と呼ばれています。固定観念から自分を解放することが大切です、ブッディは内面から知性が出るという境地ですが神様については悟りに至らないと解らないと教えて頂きました。それまでは神様について語る事は出来ないのです。お釈迦様はそれを守られたのでしょう。このように本質を知ると争いは無くなると思います。