オフィシャルブログ

92、常識は正しいのか

常識は一般的には正しいと思われて使われていると思いますが少し考てみましょう。人が複数いるとそれぞれ考え方が違います。それはその家族の考え方が違うからでしょう。その違いは学校や地域社会にもあります。校則や文化にもあるのです。そして国にもそれぞれ法律があって、それぞれが国の常識として国民は守らないといけないものとして常識になっているのだと思老います。そして、それに反すると批判や罰則を与えられるでしょう。こうして考えると常識や法律は世の中にたくさんあり、それぞれ違いがあるために争いが起こりやすいのがこの世の中なのでしょう。現実、個人的にも国同士でもさまざまな争いが起きています。そして、いろいろな意見や対策を講じていますが解決しないのです。正しいと思っている常識や法律は本当に正しいのでしょうか?本当に正しいのであれば変えないと思うのですが時代とともに作り替えられています。では世の中は良くなったのでしょうか?疑問です。法律の大切さは神様は仰られますし守られますが正しいとは仰られていません。それはこの社会を動かしているのは人間ですから今の人間のレベルで作ったものが正しいか誤り化は起きる現実を見て判断するように仕組まれているようです。しじゃし、人間はほとんどの人が自分が正しいと思っていますので間違いに気付けず苦しむのです。その間違いに気づくために神様を求めるようにされているのです。そして、現在のように人類が誤った信仰を行うような時に間違いを正すためにイエス様やお釈迦様、そして、私の先生のような方を派遣されるのです。現在の常識の教えの根底にはお釈迦様やイエス様の教えがあるから受け継がれていると私は思います。しかし、その教えには不変の真理がほとんど無いために人間は欲望に負けるのだと思います。「真理を知らずして人にあらず」日本の昔から大切に伝えられた言葉です。真理を知ることがあらゆる苦しみからの解放になるのです。