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51、人間について考える(1)。

私はこれまで約26年間、神様の教えを学んできました。教えの中で人間や宇宙がなぜ存在するのかを明確に教えて頂きました。その教えを学ぶとこの世のことがとてもよく理解できるようになりました。しかし、教えは理解したつもりでも本当には理解できていないことが今日、分かりました。人間は頭だけで解ったつもりになっているのですが本当に解ることがいかに難しいのかに気づきました。そのために人は自分の考えを無くす修行が必要なのだと思いました。現在は神様を信じない方が多く、信じているからと言って本当に信じようとしているとは思えません。私は今の先生とお会いするまでにいろいろな宗教団体に行ってみましたがそれぞれ良さそうな教えをされていますが私は大学時代から仏教で言  う「悟り」に興味があったのでそれを説くところはありませんでした。ですから、少しの機関、参加したところはありましたが止めました。その後、霊能者に興味を持ったりして内容がそれぞれ違うのを感じていろいろなレベルがあると思い見えない世界の存在を信じるようになり、インドの「神の化身」の存在を知りその方について書かれた本や雑誌を読んで確信しました。その中の雑誌に今の先生が紹介されていた事が学びの初めで2年後にインドにご一緒させていただきました。そこでの体験から私はこれからの人生を決断しました。しかし、意志の弱さからなかなか先生のようにはゆかないのが現状ですが他の人生には何の魅力が無くなりました。「悟り」とは神様に到達することと解かりました。しかし、厳しい道でもあります。お釈迦様が「神」と言う言葉を使わず「仏」と言われたのは「神」と言いう言葉は到達された方しか許されないことを守られたからと知りました。私は先生から長くその使用を禁じられていましたがある時から使用が許されました。それは先生が到達された時でした。お釈迦様も死の直前に到達されたメモ書きに「命は甘美 である」と書かれていたと聞きました。この言葉が到達を意味すると思いました。ここからが真理の教えになりますが残念ですが仏典にはないのです。このような学びをすると人と争うことが無くなって心も穏やかになれます。


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